躁うつ病の歴史

クレペリンとウェルニッケ学派

躁うつ病はクレペリンの教科書第6版で登場し、1909-15年の間に出版された第8版でその定義が固まった、と言っていいでしょう。躁や抑うつの発作やその混合状態を認め(症状)、周期的な再発を繰り返し(経過)、最終的には荒廃に至らない(転帰)、という特徴を持つとされました。特に転帰という点で早発性痴呆と躁うつ病との境界を明瞭化しましたが、高齢者における発作は荒廃の危険性がある、とも記載しています。また、躁とうつが混じった“混合状態”をかなり重要なものと考えていました。クレペリンの躁うつ病はかなり広い概念であり、極端な言い方をすれば、ほとんどの感情の揺れが“躁うつ病”に吸収されていったのです。
これに待ったをかけたのがウェルニッケ学派。ウェルニッケは、再発を繰り返さないもの、抑うつのみや躁のみを認めて反対の極に移行しないもの、これらを重視し、単極(うつのみ、躁のみ)と双極(躁とうつ)の区別を訴えたのです。レオンハルトは非常に細やかな分類を行ないましたが、それが仇になったのか人口に膾炙したとは言い難いことに。彼の観察眼は凄まじいのですが、人間一般はそんなに多くのことは覚えられないということでしょうか…。

“単極性”と“双極性”

大きな動きがあったのは1966年。2人の研究者、アングストとペリスがそれぞれ家系研究に基づき“単極性”“双極性”とを分けることを提唱したのです。“躁うつ病”という包括的なものではなく、そこに線を引くべきである、“双極性障害”“単極性うつ病”とにわけるべきである、ということですね。これは大きな影響がありました。

このように双極性と単極性の2つにわける方に向かった振り子でしたが、1970年頃からあやしくなります。ダナーらがうつ病の中に軽躁状態を伴う群を見出して、双極II型を抽出し、自殺やその企図のハイリスクであることを示唆しました(Biol Psychiatry. 1976 Feb;11(1):31-42.)。それによって、“明らかな躁を持つ双極”“抑うつしかない単極”とすっぱりわかれず、その間になにか色々とあるぞ、という雰囲気が出てきましたね。そして、1981年にはクラーマンが双極性障害をI型からVI型の6つに分類しました(Compr Psychiatry. Jan-Feb 1981;22(1):11-20.)。1983年にはアキスカルが“双極スペクトラム”を提唱し(Am J Psychiatry. 1983 Jan;140(1):11-20.)、彼は持ち前の双極性を活かして、どんどんそのスペクトラムを広げていきました(Psychiatr Clin North Am. 1999 Sep;22(3):517-34, vii. や J Affect Disord. 2008 Apr;107(1-3):307-15.など)。なんと最終的には統合失調症から認知症まで双極性の領土に含んでしまったのです。この分類だと“まず双極性障害ありき”になってしまいそう。双極スペクトラムにはアキスカルのものとは別に有名なものがもうひとつあり、それはガミーらが2000年に提唱したもの(New Oxford Textbook of Psychiatry. Oxford University Press. 2000)。こちらの方はスペクトラムの触手を外に外に伸ばしていくというコンセプトではなく、横断的には単極性うつ病と診断せざるをえない状態の中に潜む双極性を見逃さないようにしましょうねという考えです。しかし、このスペクトラムに対して気分安定薬(双極性障害に対する第一選択の向精神薬)を優先して使用すべきかどうか、つまり双極性障害として治療すべきかどうかははっきりしていません。ここが臨床でとても悩むところなのですよね…。ともあれ、アキスカルとガミーの違いは覚えておきましょう。

そして治療面では、1950年代から躁の治療に使われていたリチウムが、単極性うつ病の予防にも有効であることが複数の試験で示されました(Am J Psychiatry. 1976 Aug;133(8):925-9.など)。双極性障害に使うはずの薬剤が単極性うつ病にも有効であるなら、その区切りに「?」が付いてしまうのも無理はありません。

 

これらを踏まえて、双極性障害単極性うつ病との境目はかなり不明瞭になっており、クレペリンの“躁うつ病”の概念に戻ってきたとも言えるでしょう。「さすがクレペリン!」と思うかもしれませんが、標的は双極性と単極性のみならず、双極性障害と統合失調症にも広がりました。昨今のゲノム研究では双極性障害I型は統合失調症と、双極性障害II型は単極性うつ病と近い関係にあるのではないかとも言われており(Nat Genet. 2019 May;51(5):793-803.)、統合失調症、双極性障害I型、双極性障害II型、単極性うつ病、というスペクトラムをなしているという考えが主流になりつつある、と言っていいかと思います。ここまで来ると、クレペリンがわけた早発性痴呆と躁うつ病の境界はもはやぼやけ、100年以上続いた分類が揺らいできていて、精神科にとってこれは大きな出来事。

 

クレペリンが重視した転帰についても、双極性障害において認知機能が低下してくるのではないかという報告があります(Bipolar Disord. 2007 Dec;9(8):868-75. や Am J Geriatr Psychiatry. 2014 Dec;22(12):1462-8.など)。しかし、そこは意見の一致を見ておらず、「健常の人と比べると落ちるけれども、低下がどんどん進むとは言いづらいぞ」という報告も見られています(Bipolar Disord. 2016 Mar;18(2):148-54.  や Int J Geriatr Psychiatry. 2020 May 18. doi: 10.1002/gps.5352. Online ahead of print.など)。ここからは個人的な意見ですが、クレペリンの“早発性痴呆”は統合失調症の中でも予後不良のタイプに限定されているので、その群と双極性障害I型とのゲノムを調べたら共通性があるのかないのかが気になります。あとは、クレペリンが見た早発性痴呆の“荒廃”は、双極性障害で認められる認知機能低下とはやはりレベルが違うのでは…とも感じます。しかも当時は細かい認知機能の検査なんてなかったでしょうし。どうなのでしょうね。