豊橋市の精神科の可知記念病院です。
若年者の診察で心掛けていること
今回のblogは医局の担当です。
可知記念病院では児童・思春期の精神医療を専門的には行っていませんが、10代の患者に対応する機会は時々あります。今回は若年者の精神科診察で心掛けていることを書いてみました。
[待合室の観察]
診察前に待合室での親子の相互交流を観察するだけでも様々な情報が得られます。なぜなら若年者の精神病理は親子関係の中で生じることが多いからです。例えば、以下のような待合室の状況からでも親子間の様々な葛藤が読み取れます。
・過剰に親にくっついている子供と、その子供を抱きかかえるように密着している母親
・そっぽを向いて離れて座っている親子
・父親に激しい言葉を言い放ち、それをなだめようと幼児に話すように高校生に話す父親
・周囲が気まずくなるほどの勢いで激しく叱りつける母親
[両価的な感情や態度を理解する]
若年者に限りませんが、精神科診察では患者と同じ目線で状況を感じることが大切です。多くの場合、患者は助けてほしいという思いとともに、罰せられるのではないかという恐れを抱いているなど、両価性を持っています。そのため、むしろ援助はいらないという態度をとったり、挑戦的な態度をとったり、無愛想な態度をとったりすることがあります。まさに警戒と恐れでハリネズミのように針を逆立てている状態です。患者自身もこのような態度は良くないと分かりつつ、そうせざるを得ない自分の気持ちと、誰にも分かってもらえないという孤独感に困惑しています。しかし、病院に来たこと自体が救済を求める気持ちの現れであると理解する必要があります。
[若年者の「わざとらしさ」におおらかに]
学校に行く前に決まって腹痛を訴えるなど、若年者の変換症状や解離症状は成人のそれよりも疾病利得の機制が「わざとらしく」現れることがあります。治療者はつい、患者の万能感や操作性に巻き込まれることを不快に思い「本当は痛くなくて、行きたくないだけでしょ」などと症状の虚偽性や架空性を暴きたくなるものです。しかし患者がこのような訴え方でしか自身の辛さを表現できないという人格形成の偏りにこそ深刻さがあると理解するべきです。わざとらしい訴えをおおらかに受け取り、その裏側に隠された心理的苦悩を感知して共感し、患者のありようをそのまま受容する態度を取ることで、診察室で得られる親からの情報や子からの訴えの裏に流れるものが明らかになっていきます。親子双方に対して、道徳的な説教はせずに状況を簡潔にまとめる伝え方を心掛けています。