今回のブログは医局が担当します。

メンタライジングについて:その1

アタッチメントと精神分析を主体にしてつくられたツールが、MBT(メンタライゼーションに基づく治療:Mentalization Based Treatment)というもので、最近注目されています。このアプローチは精神分析家のFonagy(フォナギー)()とBateman(ベイトマン)()が提唱しており、最初は境界性パーソナリティ障害のための治療法として、でした。そこから守備範囲を広げていったのです。そのため、狭義のMBTはこの境界性パーソナリティ障害の治療法のひとつですが、広義のMBTはメンタライジングというのを重視した治療法全体を指すようで、ここでは後者に触れます。この方法の目標はメンタライジング能力を高めることですが、ではこのメンタライジングとは何でしょうか? それは「こころでこころを思うこと(holding mind in mind)」と定義されます。自分のこころの中で、自分と他者のこころについて考えて感じることなのです。もう少し踏み込んで言えば、“自己と他者の精神状態に注意を向けること”であり、“自分自身をその外側からながめることと、他者をその内側からながめること”とも言われます。

私たちはありのままの現実自体を見るのではなく、現実の表象 representation を見ます。言い方を変えると、世界を自分で意味づけて見ている、ということ。ものの見方は神の視座による唯一絶対の正解があるわけではなく、いろんな見方があります。私たちはそれぞれの脳というフィルターを通すことによって初めて世界をとらえることができるのですが、だからこそいろんな解釈が存在し、多様性にもつながります。そして、その脳はひとつに決めつけず種々の可能性を考えていくプロセスを持っています。それが大切で、それを認識できていることがメンタライジングに欠かせないのです。ハタと立ち止まって、「あれかな?これかな?」と考え、応答に軌道修正をかけていくのがメンタライジングであり、養育者と赤ちゃんとのやり取りがその典型。その試行錯誤のやり取りの末に、他者と自分が浮き上がり、“良い”と“悪い”も統合され、「あぁ、この人は私とは別の人で、色んな考えを持っているんだな」とわかるようになるのです。いっぽうで、養育者が攻撃者となり子どもを責めることが続いてしまうと、統合されるどころか、外傷をもたらす他者として、子どもの中に入り込むことになります。これをメンタライジングの理論では“よそ者的自己”と言います。それが強いと、何かあるたびに「だからお前はダメなんだ」「お前が悪いからこうなったんだ」と、自分を責めることになってしまいます。Freudの超自我的ではありますが、超自我は自分の考えとして消化できている面が違うのでしょうね。「だから私はダメなんだ」と「だからお前はダメなんだ」とでは、大きな違いがあります。自分の中にありながら、他者として攻撃してくるというのが“よそ者的自己”の特徴であり、これは非常に外傷的です。