今回のブログは医局が担当します。
メンタライジングについて:その3
前回までは精神分析との絡みについて述べたので、次にアタッチメントとの関連を。これについては、適切な養育か不適切な養育か(敏感性の違い)によって、子どものメンタライジング能力の育ちに違いが出るとされます。“ほどよさ”が生まれない養育では、子どものメンタライジング能力がうまく機能しなくなり、それ以前のモードでやりくりしなければならなくなります(不安定なアタッチメントを内在化すること)。それ以前のモードとは、“心的等価モード”と“ふりをするモード/ごっこモード/プリテンドモード”と“目的論的モード”です。以下に説明していきましょう。
心的等価モード(psychic equivalence mode)
こころで思ったことをそのまま現実であるとみなします。妄想やフラッシュバックなどでは、その時の精神状態がそのままの現実として体験されます。一言で表現するなら“思い込み”や“勘ぐり”であり、いいところを見ると“あばたもえくぼ”や“恋は盲目”、悪いところを見ると“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”にもなってしまいます。
ふりをするモード/ごっこモード/プリテンドモード(pretend mode)
複数の見方ができているように見えても、観念、概念などの知性化(防衛機制のひとつ)を用いたり、子どもでいう“見立て遊び”のような空想に没入したり、そして「~しなければならない」「~すべきだ」などの当為にとらわれたりして、自分の中の現実と他の現実とを柔軟に結び付けられません。表面的であったり、“べき思考”にとらわれたりしてしまうわけですね。それは、自分の苦しみに向き合っているようで向き合っていない、つまりは“ふり”をしているのです。このpretend modeは、和訳が“ふりをするモード”と“ごっこモード”のどちらか、もしくはそのまま“プリテンドモード”とカタカナ表記にします。
目的論的モード(teleological mode)
言葉を獲得する前の段階であり、願望や感情などの精神状態自体を推し量れません。そのため、具体的な物や行動でのみ示し、また相手に対してもそれのみで判断します。わかりやすい“形”でのやりとりに終始してしまう、奥行きのない“報酬”のみによって動いてしまうと言ってもいいでしょうか。防衛機制の“行動化”がそれに当たり、感情を言葉で表現できずに、行動で示してしまうのです。
これらは生き抜く術ではあるのですが、人間関係ではどうしても下手を打ってしまって悪循環に陥りがちです。もちろん、いったんメンタライジング能力を獲得しても、こころにゆとりがなくなるとそれ以前のモードに戻ってしまうことも多々あります。脳の活動が落ちている低覚醒状態や、活動が過ぎている過覚醒状態では、メンタライジング能力が落ちます。低覚醒状態は、身近な例ではお酒を飲んでぼんやりしている時や、寝起きの時など。解離もこの低覚醒状態。過覚醒状態は、いわゆる“闘争-逃走 Fight or Flight”で交感神経がガンガン働いている時。いずれも他人のことを慮る余裕はありません。ということは、もともとメンタライジング能力が低い人もいますが、今しがた述べたように、同じ人でもメンタライジング能力は揺れ、非常に動的なものなのです。私たちは、患者さんの中の、そして自分の中のメンタライジング能力の水準をリアルタイムで見ていく必要があるのですね。