豊橋市の精神科の可知記念病院です。
本日のブログは医局が担当いたします。
名付ける、ということ
言葉によって名前を付けることは日常的に行なわれていますが、それは混沌とした世界から意味を切り出す作業でもあります。言語の持つ分節化の力であり、“正体の分からない不気味な何か”が名前を持つことでくっきりと存在してくるのです。ただ、それにはメリットとデメリットがあることを忘れてはなりません。
パニック症では、例えばいきなり息苦しくなって「死ぬんじゃないか」と恐怖してしまいます。患者さんは「これは何!?」と思うのですが、“パニック症”と分かって知識が付くだけでもホッとすることはとても多いのです。これは“分からない恐怖”に“パニック症”と名前が付いて、「これこれこういうものなのか」と見通しが立ったというメリットの一例。
しかし、例えばALS(筋萎縮性側索硬化症)はどうでしょう。分からない現象に疾患名が付与されることは一緒ですが、「進行していく」「治らない」という情報を得た多くの患者さんは、失意の底にいったんは転がり落ちます。生の有限性を思い知らされ、名前の持つ残酷さが作用しているのです。
同じ“名付け”ですが、その重みは名前によって、受け取る人の状況によって、全く異なります。名付けによって意味は付与されますが、その意味は文脈に依存します。さらに歩を進めると、その意味が文脈にも実は影響を与えるということも実感されましょう。 医療者は、名付けが両方の作用をすることを覚えて、患者さんが生きていくサポートをしていきましょう。それこそ精神療法なのですが、「精神療法するぞ!」とそんな大上段に構えるものではなく、生きていくための松葉杖や、寒い時にそっと差し出される一杯の温かいお茶のようなものなのだと思います。