豊橋市の精神科の可知記念病院です。
今回は医療相談室が担当します。
精神疾患・精神保健福祉の歴史(日本編⑩)
精神疾患および精神保健福祉の歴史(日本編⑩)を紹介します。
医療改革への期待が膨らんでいき、厚生省や日本精神神経学会などが法改正の準備をしていたなか、事件が起きます。
1964年にアメリカのライシャワー駐日大使が19歳の精神障がい者の青年に刺されます。
この事件をきっかけに、地域生活の支援体制強化に向かっていた世間の目が、精神障がい者の処遇を問題視するようになってしまいます。
新聞はこぞって“野放しの精神障がい者”と書きたて、精神障がい者は変質者であり隔離すべきである、精神障がい者は潜在的犯罪者!なんて考えも出てきてしまい、精神障がい者に対する保安処分的な対策が必要だと訴えられるようになっていきます。
ライシャワー事件は「精神障害者野放し論」に火をつけます。
事件がちょうど国会の会期中だったこともあり、精神衛生法改正をめぐっての議論が白熱。
「個人(いわゆる精神障害者)の人権より、多数(一般市民)の人権を考える」といった社会防衛・治安的色彩の強い論調で、実際、警察庁から当時の厚生省に改正の要望が提出される等、政治的対応として、緊急的な一部改正も検討されていきます。
ライシャワー事件が起こったことにより、地域生活の支援、通院での精神科医療へと動いていた流れが、精神病者監護法の時代のような治安的な要素が強いものへと逆戻りしてしまいます。
続きは次回、医療相談室ブログで紹介します。