豊橋市の精神科の可知記念病院です。
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フロイトの“性/生の本能”

精神分析で有名なフロイトですが、彼はシャルコーのもとで“ヒステリー”の患者さんの治療を学び、原因に心的外傷がある、そしてその心的外傷と“性”とを強く結びつけていきました。特に、幼児期による性的虐待によってもたらされた外傷体験こそが特定病因であると考えたのです。しかし、その外傷体験は実際に起ったこととは限らず、患者さんの空想の場合もあります。すなわち、私たちの記憶というのは“氷漬けのマンモス”ではなく、現実と空想の混じったフィクションである、ということ。そのことに気づいたフロイトは、大人から性的な誘惑を受けたという事実がヒステリーの原因であるという考え(誘惑理論)を撤回し、“心的現実”という概念を提出します。これが1900年前後の出来事。ここで大事なのは、フロイトは「子供の頃の性的虐待の記憶は捏造だ!」として患者さんを非難しているわけでは決してない、ということです。外傷体験が現実であろうと捏造であろうと、外傷としての質に変わりはありません。むしろ、空想であるからこそ貴重だと言えます。なぜなら、患者さんの持つ無意識的な欲望によってその外傷記憶がつくられたから、なのです。このように、彼は人間の葛藤の起源を探し求め、“性の本能”を重視し、そのエネルギーを“リビドーlibido”と呼びました。リビドーを無意識に抑えるだけだとエネルギーの行き場がなくなるので、患者さんはそれを別の形、すなわちヒステリーという形で逃してあげており、そこを治療者は明らかにしていくのが治療になるのだと考えました。これが後に“防衛機制”の理論につながってきます。

このように、彼は神経症の原因を“性”に求め、無意識の中に覆われている思いや記憶を精神分析という手法で掘り返していくことが大事なのだと述べました。後期になると“性の本能”は“の本能”へと変え、これはプラトン的なエロスと思ってもらうといいのですが、「人を愛する」や「人を求める」など、より関係性へとシフトしていきます。要するに、フロイトは性というのを足場にして、養育者、そして世間などとの関係をつないで人間は発達していくということを説いたのだと理解しておきましょう。