豊橋市の精神科の可知記念病院です。
本日のブログは医局が担当いたします。

“あいだ”の心構え その1

木村敏先生の思想に“あいだ”というものがあります。ここで述べる“あいだ”はその本家本元の木村敏先生の様な深みはありません。浅く、個人という認識が生まれ出てくる基盤であるとか、もっとあっさり言うと相互作用とか関係性とかでも良いかもしれません(木村先生はゾーエー的な用い方をしておられましたね)。精神科医が行う日々の外来での精神療法を、”あいだ”という考え方を軸にして見てみたいと思います。
まず、人は因果、原因→結果で考えがちです。それが精神科の土壌に上がると、親が怒る“から”子どもがひねくれた、という論理にもなってしまいます。でも事態はなかなかそう単純でなく、ひょっとしたら子どもがひねくれている“から”親が怒るのかもしれません。どっちが原因でどっちが結果かというのを考えだすと、責任のなすりつけ合いになってしまいます。しかも、人は余裕がないと一面的なものの見方しかできなくなります。「あなたが悪いのよ!」「そっちだろ!」の応酬から抜け出せず、それからさらにお互いカッカしてしまう。ありがちなパターン…。

何が言いたいかというと、現実的には、ものごとはお互いに影響している、ということ。ひねくれていれば怒るし怒ればひねくれるし。部分は全体に影響を与えますし、全体はもちろん部分に影響を及ぼします。家族の誰かが怒っていたら、やっぱりみんな晴れ晴れとした気分になれません。また、そういう空気に家族全体がなってしまうと、それが嫌で誰かがイライラしてしまうかもしれませんね。だから、あんまり原因を根詰めて探すのは大きな利益にならないことが多いのです、実は。患者さんに味方しやすい治療者だと相手を一緒に攻撃してしまうかもしれませんし、気に喰わない患者さんだと周りと一緒に患者さんを責めてしまうかもしれません。そのどちらも治療的ではないというのは明明白白。

そこで、私たちは“あいだ”に視点を移すことで単純な因果論から抜け出しましょう、と言いたいのです。もちろん根深い原因を探ることがいけないということではないのでしょうが、若手の精神科医であれば、この場における“あいだ”に眼を向けて、それを安定化させることが最も非侵襲的だと考えています。言ってしまうと、本当の原因と言うのは実際のところ良く分からないですし、複雑に入り組んでいるのでしょう。患者さんの症状もいまや複雑な因子の1つかもしれません。となると、原因、と考えられるものは暫定的に患者さんとの合意によって得られたものにしておくのが良いという場合も多いことでしょう。そうしておいて、患者さんの置かれている“あいだ”を柔らかくしていくのがポイントではないでしょうか。