豊橋市の精神科の可知記念病院です。
今回は医療相談室が担当します。
精神疾患・精神保健福祉の歴史(日本編②)
精神疾患および精神保健福祉の歴史(日本編②)を紹介します。
1874年(明治7年)、文部省が癲狂院の基礎となる医制を制定。
1875年(明治8年)に日本最初の公立精神病院とされる、京都府癲狂院が設立されました。
1879年(明治12年)、旧中村藩、藩主相馬ともたねの、現代における統合失調症と思われる症状(何事もなく過ごしているかと思えば突然挙動が活発になる、声が高くなり多弁になる、夜間に天井から男女の声がするなど幻聴がある、咽頭部に苦悶を覚え、足踏みをし、眼光鋭くなり、看護者らに暴行を加えるなど)が悪化したため、家族が宮内省に私宅監置を申し入れました。以後、自宅で監禁、後に東京府癲狂院に入院します。
1883年(明治16年)旧藩士の錦織剛清(にしごりたけきよ)が主君ともたねの病状に疑いを持ち、家族による不当な監禁であるとして家令の志賀直道ら関係者を告発したことにより事件が表面化。
1887年、錦織はともたねが入院している東京府癲狂院に侵入し、ともたねを奪取するも1週間で連れ戻され、錦織は自首、家宅侵入罪により禁錮処分になります。
1892年にともたねが病死し、錦織は毒殺されたものとし、相馬家を再度告発。相馬家より誣告罪(ぶこくざい)であると訴えられ、錦織は有罪判決を受け、事件は収束します。
…が、この事件が表面化したことにより、精神病に対する世間の関心や、精神病者の監禁について問題意識が高まり、精神病者監護法の制定へとつながっていきます。
続きは次回、医療相談室ブログで紹介します。