豊橋市の精神科の可知記念病院です。
今回のblogは医局の担当です。

意識とは何か?

われわれが意識と呼ぶものの正体について、最近話題になっていることを中心に簡単にまとめてみました。

意識とは自分の喜怒哀楽の感情であったり、行動を決めたり判断したりするものとされています。有史以来、多くの思想家や哲学者が意識について洞察しており、例えばデカルトが提唱した「我思う、故に我在り」という命題は有名です。しかし、人間に意識がどうやって発生しているかの科学的な原理はほとんど分かっていません。一方でフロイトは無意識に注目しました。フロイトのいう無意識とは自分では認識できないが各個人に持続的に存在し、意識に影響を与えるものとされています。実は精神活動の中に無意識の世界が存在するという説は、近年の科学的な実験からも裏付けられつつあります。

1980年代にカリフォルニア大学のリベット氏は、被験者が自分の意思で指を曲げるときに、指を曲げようと意識するタイミング、脳波が発生するタイミング、指が動くタイミングがどういう順番で起こるのかを調べました。すると、自分の意思で指を曲げようとする0.35秒前に脳波が立ち上がり、その0.2秒後に指が動き始めていることが判明しました。つまり何かをしようと決める前にすでに脳が動いて決定がなされていて、その決定を後から私という意識が確認していることを示唆しています。言い換えると、意識が手を動かそうと思いつく前に、手を動かそうと思いつくことは決まっていたということです。

いつどんな決断をしようと思うのかのすべてが、意識する前には決まっているとすると、そもそも自分の意識には自身の行動を決める力はなく、動く自分や世界をただ見ているだけの傍観者に過ぎません。自分の意識がリアルタイムで決断していると感じていることは、実際には無意識に下された自分の行動に合う丁度いい理由を、都合よく意識が考え付いているだけといえます。意識というものは脳の活動の結果生み出された受動的な幻想であるという考えを、慶應義塾大学の前野氏は受動意識仮説と呼んでいます。

それでは意識は何のために存在するのでしょうか?生物は進化の過程で無駄なものをわざわざ手に入れることは少ないので、意識は人間に進化していく中で必要があって獲得してきたと考えるのが自然です。意識が存在する理由の1つとして、エピソード記憶による高度な認知活動を行うためであると前野氏は提唱しています。エピソード記憶とは個人が経験した出来事に関する時系列に沿った記憶で、これがなければ過去に起きた出来事や自身の行動の結果を未来に役立てることができません。単純な生物はエピソード記憶がなくても生活できますが、複雑な生物が生きていくためにはエピソード記憶が必要不可欠です。

脳内では無意識による膨大な数の反応が発生しており、これらが処理された後にうまく統合され、大きな1つの決断を生んでいます。その決断をただ眺めているのが意識であり、膨大の無意識を1つの簡単な意識にまとめることで、エピソード記憶を可能にしているのです。意識にその瞬間の行動を決定する力はありませんが、その経験を通して意識はエピソード記憶を生成し、次回から脳が判断を下す際の材料としたり、長期的な目標を立てたりできるようになります。つまり人間という複雑な生物に進化していく過程で意識が生まれ、エピソード記憶という能力を手に入れてきたのではないかと考えられるのです。