豊橋市の精神科の可知記念病院です。

電気けいれん療法の歴史

 

今回のblogは医局の担当です。今回は電気けいれん療法の歴史について簡単にまとめてみました。

古くヒポクラテスの時代より、様々な精神症状に対して、てんかん発作が抑制的に働くことが知られていました。また、一部のてんかんの患者で、発作が抑制された時期に精神病性エピソードが出現することが観察されており、交代性精神病とも呼ばれていました。このことから、てんかん発作には精神病を予防・治療する効果があると信じられるようになりました。

1935年にハンガリーのラディスラス・J・メドゥナがカルジアゾールという薬物を投与し、人工的なてんかん発作を起こすことで、統合失調症患者の精神病症状の改善させることに成功しました(カルジアゾール・ショック療法)。

この結果を受けて、電気刺激によりてんかん発作を誘発する手法が検討されましたが、当時はそのために人体に電気を流すことは危険だと考えられており、実際に実験に使った動物がしばしば死亡していました。その後、電極の設置場所を口と肛門から頭の両側に変更したところ、実験動物は死ななくなりました。改良を繰り返し、1938年にイタリアのウーゴ・ツェルレッティとルシオ・ビニは、電気刺激を加えることで、てんかん発作を起こすことに成功しました。統合失調症の患者に計11回行ったところ精神病症状は改善し、エンジニアとして職場に復帰することができました。このように電気けいれん療法の治療効果は非常に優れていましたが、記憶障害やもうろう状態を引き起こすとして当初より賛否両論がありました。

その後、電気けいれん療法は精神疾患治療法の中心となり、世界中で行われるようになりました。しかし、1952年にクロルプロマジンが開発されるのを皮切りに、その後様々な抗精神病薬や抗うつ薬、気分安定薬などが開発され、電気けいれん療法が行われる頻度は次第に減少していくことになります。

日本では1939年に九州大学の安河と向笠によって初めて電気けいれん療法が行われ、1958年には筋弛緩薬を用いた修正型電気けいれん療法の報告が島薗によってなされました。ところが、一部の精神科病院で、精神科医や看護婦の指示に従わない患者に対して、懲罰として電気けいれん療法を行っていたことが明らかになり、社会問題として大きく非難されました。電気けいれん療法に対して負のイメージが社会に形成されることになり、その後の普及は遅れました。

2002年に短パルス矩形波治療器が認可され、電気けいれん療法の負のイメージの象徴でもあった「木箱」と呼ばれたサイン波治療器は2003年に製造販売が中止となりました。現在は電気けいれん療法の安全性や即効性が見直されたことや、筋弛緩剤を用いて筋のけいれんを起こさせない修正型電気けいれん療法が普及したことにより、再び精神科の治療において、重要な地位を占めるようになっています。