今回のブログは医局が担当します。

トラウマによる精神症状の修飾とトラウマインフォームドケア

以前はトラウマとは何なのか、そしてトラウマの与える自己組織化の障害(DSO)についてお話ししました。今回は、トラウマが精神障害の診断に影響すること、そしてトラウマの存在を念頭に置いた診察の重要性を述べます。

トラウマによる症状、それは回避や過覚醒や侵入症状などですが、これらが様々な精神症状を修飾し、病像を被典型的にし、かつ急激な揺らぎをもたらし、診断を不確かにしてしまいます。トラウマがあるのではないかと疑うことは大切であり、私が重視したいのは、複雑性PTSDのところで紹介したDSOなのです。これが認められた時にもトラウマの存在を強く考えてみる、というスタンスは必要だと思います。なぜなら、PTSDの代表的な症状―回避や侵入や過覚醒―を明らかに認めない場合でも(PTSDや複雑性PTSDと診断はされないけれども)このDSOが強く現れていることがあり、その際はトラウマ、特に養育環境の不全を意識した治療スタンスが患者さんを傷つけないためにも必要だから、なのです。

「様々な症状の背景にトラウマがあるな…」と思われたかもしれませんが、誰しも大なり小なりトラウマを抱えているので、そこを探り出すと「何でもトラウマが原因」になってしまいかねないというリスクも隣り合わせ。そういった意味では、笠原先生の指摘したダムの水位の比喩は、治療者に安易な診断を抑制しなければならないことを思い出させてくれます。「この患者さんではトラウマを念頭に置いたほうがいいかも…」と意識するのは、やはり「耐えがたい情緒的苦痛の最中に心理的に孤立無援で気づいてもらえないと感じること」を経験してきたかどうか、だと私は思います。

トラウマの影響が強い精神症状は、上述したHermanの言葉の通りで「通常の●●障害ではない」なのです。そのため、治療においても「通常の治療ではない」と言えるかもしれません。ただし、治療と言っても専門的で特殊なことを要求するのではなく、ケアという視点で、患者さんの症状の裏では何が起こっているのだろうと立ち止まって考えることが第一歩。そして、患者さんの内的世界に土足で踏み込まないように、普段よりも治療者が自身の振る舞いに気をつけながら、そっと対応してみましょう。診察室が患者さんにとって安全な場であることを示し、その先に安心な場であることを体感してもらうような態度ですね。

患者さんの中には、長期にわたる逆境的な環境で過ごしてきたかたもいます。そんな時は安全や安心を信じられない場合も。安心や安全は、相手と自分とがほどよい関係にあるからこそ成立するのですが、ほどよさは淡くもあり、中途半端で頼りなく感じてしまいます。それよりも、はっきりとわかりやすい逆境的な環境のほうが安定しているとも言え、“かえって落ち着く”という、これもまたかなしい状況が見えてきます。安全や安心を示そうとすればするほど患者さんは落ち着かなくなり、抵抗を示すことになります。そこを治療者は「そんなに暴力を振るわれるのが好きなのか! 治療を受ける気がないんだったらもう診ないぞ!」と短気を起こすことなく、ぐっと我慢するのです。その我慢はいつか必ず報われるはず。

トラウマインフォームドケア(Trauma Informed Care:TIC)という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、これは患者さんの症状を理解する際にトラウマのメガネをかけて、私たち医療者との関係を侵襲的なものにせず、再びトラウマを与えないようにすることなのです。公衆衛生的なアプローチであり、あらゆる人の健康を守るためにトラウマという視点を持っておきましょうね、ということ。これまで述べたように、様々な症状の背景にトラウマが潜んでいます。そして、それは患者さんからは語られることがないのかもしれません。だからこそ、私たちの方が意識しておかなければならないのです。

メガネをかけて、とは言いましたが、そのメガネはいつでも外せるようにしておくことが欠かせません。そうでなければ「何でもトラウマ」という、一時期の「何でも発達障害」を繰り返してしまいかねません。それはTICの目指すことではありません。大事なスタンスは、必要な時にかけること。トラウマというのは、残酷なものです。本来であれば保護的に働くはずの人が、その保護を破壊するのですから。私たち医療者が患者さんの症状の背景にトラウマの可能性を考えておくことが、その傷を広げないための一歩になるかもしれません。