以前、躁うつ病について少し述べました。今回は日本に根強く残るメランコリー親和型性格とうつ病とについて。

1970年前後の日本では、テレンバッハの影響でうつ病と病前性格のつながりが顕著になりました。テレンバッハは、あくまでも“重症の”うつ病と彼の定義する“メランコリー型性格 typus melancholicus”との結びつきを示したのですが、日本ではそれが輸入された際にかなり改変されたのです(意図的に、と言ってもいいでしょう)。

メランコリー型性格は日本でメランコリー親和型性格と訳されましたが、“勤勉、几帳面、真面目。他者への配慮が行き届いて、円満な人間関係を保とうとする”性格だと理解されました。実に日本人らしいというか、日本人が好みそうなタイプですね。

しかし本来、すなわちテレンバッハの記載したメランコリー型性格は、極端すぎる几帳面さのため煙たがられるようなタイプ。しかも几帳面以外にはこれといった長所もなく、帳簿を付けるような仕事には向くものの、融通が利かず、独りよがりと言ってもいいくらいで、ほどよい社会人にはなれない人たちだったのです。

日本で広まった“メランコリー親和型性格”とぜんぜん違いますね…。彼の著書『メランコリー』に記載されている症例14を見てみましょう。

テレンバッハ著『メランコリー』より

引用:https://www.amazon.co.jp/

女性患者アンゲーラ・Rは、寛解後の診察に際して次のように述べた。48歳の患者は、なが年のあいだ7人家族の家計をきりまわし、ふだんは朝の6時から夜の11時まで働いた。衣類はいっさい-服も含めて-自分で作り、自分で洗っていた。その上、彼女は野良仕事もやっていた。1956年からすでに胆嚢の病気が始まっていて、腹の右側にたえず鈍痛があり、時どきは疝痛が起り、そういった症状は仕事をするとひどくなるにもかかわらず、仕事を休もうとはしなかった。完全に疲れ切ってしまう一歩手前のところまで来ることもよくあったが、それでもまだ一度も休暇をとったことがなかった。《朝計画したことを済ませてしまわないと、自分で気持ちが悪いのです》。何かやりかけで残っているようなことがあると、《明日の朝はいつもより早く起きて、残った仕事を片付けてしまおう》と自分に言いきかせるのだった。何事につけても、彼女はできる限りきちんとしていた。《できればもっときちんとやりたいと思うことがいくらもあります》。人から《そうやって置いておいたらいいじゃないか、なにもそんなにきちんとすることはないじゃないか》といわれることがよくあった。

 

仕事をするにもこのレベルになるのです。他者への配慮や円満な人間関係を重視しているとはなかなか言えず、自分の秩序を几帳面に守って他の人からは呆れられてしまっていますね…。別の症例(症例10)では、旦那さんが出征中に、別の男性が自分のことを好きだというのを知っておきながらその人と一緒に映画を観に行く女性も出てきて、「おいおい、ちょっとこれはメランコリー親和型性格とはだいぶ雰囲気が違うぞ…」と感じます。

発症の仕方も、テレンバッハが描くものは、従来通りに働けなくなり、それ以上に頑張っても取り戻せず空回りして焦るそのなかで発症に向かっていきます。日本で言われた“メランコリー親和型うつ病”の発症パターンは、秩序が変化してしばらく経過してからひとりでに起こるタイプが典型的であり、この点も違いがありますね。

重症度も異なり、テレンバッハがメランコリーと診断するのは本当に重症レベルです(そもそも入院した患者さんを対象としています)。

テレンバッハの”メランコリー”と日本で広まった”メランコリー親和型性格”

日本ではテレンバッハを論拠に「メランコリー親和型性格が発症するうつ病こそ本来のうつ病、内因性うつ病だ」とも言われるようになりました。しかし、それは虚像だったのではないか、と私は思います。

論拠となっているはずのテレンバッハの『メランコリー』も、翻訳で意図的に好ましい表現に変えられており、また翻訳されたものを見ても、日本で広まった“メランコリー親和型性格”とは相当に異なることが明らかです。

そもそも、テレンバッハの対象としたのは入院した重症のうつ病であり、日本の“メランコリー親和型性格のうつ病”とは違います。言ってしまえば、日本のうつ病はテレンバッハを(意図的に?)読み違えて広まってしまったのです(声の大きい人が広めたと言っては語弊があるでしょうか)。

“メランコリー”の読み違えが広がった時代的背景

当時の日本は高度経済成長の時期であり、都会の企業は終身雇用制でもあり、みんなで一丸となって頑張ればそれだけ報われた非常に特殊な時代。多くの都会人が(後天的な)メランコリー親和型性格であったのだとも言えるでしょう。

皮肉っぽく表現すれば、当時の“現代型うつ病”がメランコリー親和型うつ病であった、ということ。日本人好みする性格だからこそ非難の的にならなかっただけなのかもしれません。

結果的に、このうつ病が中心に据えられたため(精神神経学雑誌. 1975:77;715-735)、そうでない性格の患者さんが発症するうつ病は「本物ではない」というレッテルを貼られてしまったのです。

だからこそ、少し前に流行した“新型うつ病”という表現など、さも本来のうつ病とは異なるものとして、ともすれば侮蔑的に扱われたのでしょう。

精神病理学の先生方に怒られてしまいそうですが、日本はメランコリー親和型の呪縛からそろそろ解き放たれてもいいのではないか、と私は考えています。しかも終身雇用で云々というのは、サラリーマンに該当すること。“夫はサラリーマンで妻は専業主婦”というモデルは、当時であっても都市部限定。声の大きな精神病理学の先生方は都市部の大学にいらっしゃったので、それしか見えていなかったのかもしれません。

おわりに

上述してきたような日本の動きは、うつ病のコアを探してきた運動のひとつとも言えるかと思います。「本当のうつ病とは何か? 内因性うつ病とはなにか?」ということ。ストレスで抑うつになるような単純な因果論ではなく、まさに“疾患”としてのうつ病を、統合失調症への熱意ほどではないにせよ精神医学は探してきたのでしょう。

しかし、DSM-IIIはその探求を棚上げとし、それによってうつ病の概念が拡張してしまった、とよく言われます(※DSM=精神疾患の診断・統計マニュアルのこと)。このようにDSMは非難轟々なのですが、昔は昔で“抑うつ状態”を内因性うつ病とそれ以外(神経症や反応性など)にざっくりと分けていました。この内因性の判断が学閥によって違っていましたし(例えば了解不能、例えばメランコリー親和型性格)、それ以外の雑多な抑うつ状態も整理されず仕舞いだったということを忘れてはなりません。

要は、抑うつ状態の分類はずっと前から混乱しており、DSMがその事実を白日の下に晒しただけなのだとも言えるのです。